第3回 忠生村の誕生

大龍あれこれ第3回 忠生村の誕生

昭和33年2月1日に町田市が誕生するまで大龍が属していた忠生村について探ってみました。

明治22年に行われた市町村の大合併により、上小山田村、下小山田村、図師村、山崎村、根岸村,木曽村はひとつの村として出発することになりました。新しい村の名前をどうするかで大紛糾。なかなか決定することができませんでした。そこで、地域の誇りである小山田高家にちなみ、忠臣が生まれたところから忠生村とすることになりました。

小山田高家は、建武3年(1336年)九州から都を目指す足利尊氏軍を新田義貞に従い神戸近くの湊川で迎え撃つことになりました。この戦いの中で、義貞が落馬し絶対絶命の危機に、高家が自分の馬を与え、義貞を救い自分は討ち死にしました。

自分の死を顧みないこの行為が高く評価され、戦記物の傑作・太平記にも大きく取り上げられました。

なお、高家の墓は大泉寺にあります。